息子たちの成長

現在、年長の長男もうすぐ1歳の次男をもつ母です。

長男を産んでから6年・・・色々なことがあったなあと思います。

来週は次男の誕生日なので、何をプレゼントするかさんざん迷いましたが1歳誕生日プレゼントランキング | ベビぷれを参考に、お名前入りのリュックにすることになりました。

リュックは一升餅のイベントにも使えるし、ちょっとしたお出かけにおしめを入れて背負わせたり、活用シーンがたくさんあるのでおすすめです。

最近やっと次男も二本足で歩き始めました。7ヵ月の頃にハイハイが始まらず、検診で発達に問題があるかもと言われた息子ですが、その後の経過は順調でほっと一息ついています。

そして、長男は来年の小学校入学を控えてランドセルのカタログを取り寄せ、どれにする?と話す日々です。

長男は、我が家にとって第一子。もう、小学校かぁと思うと、産まれてからこれまでが早かったような長かったような、ちょっと寂しいような嬉しいような親としてはいろんな気持ちがあります。

ふと、私自身の小学校時代について思い出しました。
今から30年近く前の話、当時のランドセルの色は、赤か黒でした。
お店に選びに行くのではなく、親が購入したランドセルを家で受け取った記憶があります。入学式では、ワンピースを着てランドセルを背負って登校。

写真に写る当時の私は、まるでランドセルに背負われているような、ランドセルの方が存在感がある、身体の小さい女の子でした。
小学校も学年が上がるにつれ、ランドセルはいつしか小さく、そして、少し色もくすんできたのを記憶しています。

実は、小学校時代は私にとって暗黒時代。恥ずかしがり屋で、人見知り。無口な女の子でした。他の生徒としゃべらないことで、おとなしい女の子と見られて、話すのはごく一部の友達だけ。

男子にからかわれることもありました。それでも、毎日毎日学校には通いました。毎朝ランドセルを背負って登校。
席に着いたら、荷物を出して、机の横にランドセルをかける。学校が終わったら、ランドセルを背負って帰ります。ランドセルを背負うのは、学校に行くための儀式のようなものでした。たたいても、放り投げても壊れない頑丈なランドセル、6年間背負い続けました。

小学校卒業までおとなしい子だった私ですが、中学校入学とともに自分を改革。「このままじゃつまらない」そう思って、明るい子に変身。もともと、家ではよく話す子だったので、殻を破っただけなんですけどね。

中学校は、他の小学校からも多く入学するので、自分を知らない人たちがたくさんいます。なので、自分を変えるにはいい時期でした。当時、押し入れに片付けられたランドセルを見つけました。

6年間、成長を見守ってくれたランドセルは、小さくて、固くて、でも小学校の通学を支えてくれた存在です。今でも思い出すと、胸が少し熱くなります。

さぁ、来年から小学校になる長男。どんな6年間が待っているのでしょうか。親の私も楽しみです。

牛皮のランドセル

牛皮のランドセル
2. ランドセルの思い出もしくは小学校の思い出を書いてください。

ランドセルについては苦い思い出があります。私の小学生の時代はまだ牛皮のランドセルは珍しく、ほとんどのお友達がクラリーノのランドセルでした。
一年生なので皮なのかクラリーノなのか違はわからなかったんですが、見た目がまず違いました。クラリーノの方は表面がピカピカに光っていてとてもきれいに見えるのに、私のランドセルはシックな赤い色で、ピカピカ感はなく皮特有の質感で子供ながらに私のは新品なのかなと思っていました。

そして、ある時友達が面白がってランドセルを踏む遊びをしていて、みんなのランドセルを踏んで回るのですが、私のランドセルを踏んだときに、その悲惨な事件が起こりました。

クラリーノは踏んでもそれほどつぶれず、形状も変わらないのに、私のランドセルだけぐにゃっとつぶれてランドセルの厚さが半分くらいになってしまったのです。もう悲しくて悲しくてその当時の気持ちは今でも忘れることができません。皮特有の性質として時間がたつにつれてなじみやすくて、やわらかくなるので簡単に形が変わってしまったのです。そしていちどつぶれると、元には戻らないので私のランドセルはずっと半分の厚さにつぶれたままでした。

家に帰って両親にその出来事について話すと、さすがに両親もなだめてくれました。でも新しいランドセルを買ってあげようという話はでてきませんでした。
ランドセルってとても高価な買い物なので仕方ないですが、小学一年生にはその価値もわからず、買ってくれないことに相当ショックでした。明日からこのつぶれたランドセルで学校に行かないといけないと思うと悲しくて。それでもランドセルで学校に行っていました。でも年数がたつにつれ、私のランドセルはひどいことになっていくのです。

まず、雨の日です。傘をさしていてもランドセルは背中に背負っているので濡れてしまいます。
クラリーノだと表面に光沢があるのでそれほど水を吸わずにはじいてくれるのですが、皮のランドセルはしっかり水を吸い込んで、さらに悪いことに水に当たった場所だけ色がひと段階暗くなるのです。
赤い箇所と、黒ずんだ赤い箇所と混ざったランドセルは本当に古臭くてお古のような見た目でした。それがすでに小学校の3年くらいだったので、もう使うのは無理だと思い、先生に相談したのです。
先生も了承してくれて私だけどんなカバンを持ってきてもOKとなりました。その時に周りのお友達がうらやましがっていて、初めてカバンに対して嬉しく思えた瞬間でした。

私を助けてくれたランドセル

私を助けてくれたランドセル
2. ランドセルの思い出もしくは小学校の思い出を書いてください。
私は小学生のときランドセルが苦手でした。
小さい頃から体が弱かったので、他の子よりも小柄で細くランドセルに教科書が入ると重くて大変。それに色やデザインも嫌でした。

今となっては、ランドセルもピンクや水色、パープルなどおしゃれで可愛いデザインが多いですが、私が小学生の頃はまだ女の子は赤で男の子は黒が主流。ピンクや水色がちょうど出始めていましたが、周囲の人でも持っている人はほとんどいません。

水色が好きだった私は、ランドセルも水色が欲しくてよく両親に「水色のランドセルが欲しい」とか「水色を新しく買って」なとど、入学シーズンになると話していました。

とは言っても、ランドセルは決して安い買い物ではないですし、丈夫で壊れることがないので買うこともなく小学6年生になりました。

夏休みが過ぎ、冬休みも終了。残すは3学期のみとなったある日のことです。
その日も学校が終わりいつも通り友達と下校しようとしていました。

その日は少し雪が降っていましたが、そこまで積もっていませんでした。友達と「寒いね?」と話していた瞬間に私は転んでしまったのです。

一瞬の出来事のビックリしたのですが、幸い後ろに転んだのでランドセルがあったおかげで、クッションになってくれて頭を打つこともなく無傷でした。足元を見るとブラックアイスバーンのように少し凍っていたので、それが原因でした。その後は何事もなく帰宅。

帰ってきた私を見て母がビックリしたかのように「このランドセルどうしたの?」と言ってきました。何のことかとランドセルを見ると、傷が。恐らく転んだ時についた傷でした。

帰り道で転んだことを話すと母はこう言いました。「ランドセルが守ってくれたんだね。」と。

散々このランドセル嫌だとか水色のが欲しいなとど両親に言ってきていたのに、ランドセルは私を守ってくれたんだ。そう思うとごめんねという気持ちでいっぱいになり、ランドセルを大切にしようと決めました。

その後は小学校を卒業して、ランドセルを使うことはなくなりましたが、何年経ってもランドセルを捨てることはできませんでした。
今となってはいい思い出です。

隣の席の子に恋をしていました

隣の席の子に恋をしていました
2. ランドセルの思い出もしくは小学校の思い出を書いてください。
小学生の頃、隣の席にいた男の子のことは未だに時々思い出します。
最初はとにかく意地悪をされていましたね。消しゴムをとられたり、机に線を引かれたり、今考えるとたいしたことのないことですがその時は学校が世界のすべてだったのでとても気に病んでいました。

学校で隣の席の子に意地悪されているんだとおじいちゃんに打ち明けたらやられたらやり返せと言われたので素直な私は消しゴムをとられた時に相手の消しゴムを奪ってみせました。すごく驚いて、確かやるじゃんみたいなことを言われた気がします。

それからも度々何かされてたんですが、やられる度にやり返していたら一緒に帰るようになりました。

毎日仲良く話して帰っていましたね。子供は人間関係が多少うまくいかなくてもすぐに修復できるからすごいなと思います。
大人になると喧嘩したあとはギクシャクしてしまうことが多いのに、子供はさらっと水に流せる柔軟性がありますよね。

そんなこんなで私の初恋はその男の子でした。
意地悪されていたのに、いつの間にか好きになっていたんです。
やられたらやり返すのを繰り返していたら仲良く話はできるようになっていましたが、好きになったきっかけは私のドジをその子がカバーしてくれたからでした。

私はよく物を落とすのでその子が代わりに拾ってくれていたんです。給食袋は何回落としたかわかりませんし、その子に何度拾ってもらったかもわかりません。

一番すごかったのが、ランドセルを閉め忘れて先生にお辞儀をした時中身が全部出てしまった時です。
呆然としていた私をよそにその子が全部拾ってくれて助かりました。

私の尻拭いをしてくれるその子がかっこよく見えたんでしょう。
その子の家の前を通る時、会えないかなと玄関を見てしまうぐらい好きでした。

転校する時は辛かったものです。親の都合での転校だったので何で学校を変えなきゃならないのとお母さんに言って困らせていた記憶があります。
当時は辛くて悲しいと感じていましたが、そんな感情も大人になった現在ではかわいいものだなと思います。
本当に綺麗で大切な思い出です。

小学生の思い出

小学生の思い出
2. ランドセルの思い出もしくは小学校の思い出を書いてください。
私は小学校を二校通いました。最初の小学校は入学して一学期までしか通ってないから、こちらの小学校の思いではありませんが入学式で体調が悪くなった事を思い出します。母には迷惑をかけてしまいました。

二つ目の小学校は親が離婚したので母との生活が出来なくなり変わりました。
父に引き取られて父と住むようになったんです。

二つ目の小学校は幼稚園の時に仲良しだった友達が沢山いたので転校してもすぐに私と分かったと友達から言われました。私は真ん前の席だったのですが皆が私の回りに群がり大変な人気者になりましたが、一年の三学期から六年生までの長い小学校生活は色々ありました。

二年ずつで六年までに三回のクラスがえがありました。
低学年の時はわりと友達と仲良く出来ていましたが中学年、高学年は友達関係に苦労をしたのもありました。

仲良しの友達は沢山いましたがイジメのような事もありました。今みたいに陰険なイジメはありませんでしたが私は叩かれたり、足で蹴られたりとありましたが強く気丈な忍耐強い子供だったので乗り越えられたと今は思います。一部の子がイジメてきましたが、後の友達とは仲良くしていました。

小学校三年までは祖母が生きていたので祖母に励まされて小学校生活を乗り切りました。
一番の小学校の思いでは沢山ありますが勉強はあまり出来る子供ではありませんでしたが美術が好きで美術展覧会で自分が描いた絵が特選に選ばれて県にまで出してもらえて、その事は今も自分の中では嬉しかった思いでです。

祖母の事をかいた作文も表彰されたのも思いでになります。授業も勉強はあまり記憶はありませんがサッカーをしたりと外遊びも友達と本当に楽しかったのを思い出します。

木造の校舎で雨漏りのする古い学校でしたが私には特別な小学校でした。今は綺麗に建て替えられて鉄筋コンクリートの素敵な今風なモダンな小学校になっています。

小学校の同窓会が卒業して30年ぶりにありましたが、あまり集まりはしませんでしたが昔にタイムスリップしたようで、とても楽しかったです。

愛されなかったランドセル

愛されなかったランドセル
2. ランドセルの思い出もしくは小学校の思い出を書いてください。
ランドセルには、謝りたいなぁという気持ちがたまに湧くことがあります。

小学一年生になるとき、これからわたしもランドセルかぁ。と自分の成長にしみじみしていると、母がなにやら黄色いものを出してきました。
それは小学生の男女のシルエットが書かれているビニール製のカバーで、「通学する時に車から目立つように黄色のカバーをつける」という決まりがありました。
どうやら1年生の間はみんなそれを付けることが義務であり、2年生になったらそれを外す権利が得られる、ということのようでした。

すなわち「黄色いカバーをつけた子供はピカピカの小学一年生」ということが一目でわかるということで、そんな恥ずかしいことがあってたまるか!と思ったのです。
なんで恥ずかしかったのかは当時を思い出してもうまく説明することが難しいのですが、あの黄色いカバーをつけて家の近い上級生に連れられて通学路を歩き
別の地区の上級生に「一年生だ、かわいー」と言われることが子供ながらに屈辱的だったのを覚えています。

そう言う上級生が、とても大人に見えました。

2年生になり、カバーを外すとき。
ついにわたしも赤いランドセルを丸出しにして表を闊歩できる、うろちょろ歩く黄色いカバーをつけた1年生に対し「一年生なんだー」と言うことができる。
きっと大人になった気分だ、と思っていたのですが、わたしは新たなものを見つけてしまいました。

上級生が、ランドセルとは別に持っているハンドバッグ。合皮製で金属の留め金のついているバッグがとても格好良く、「あれを持ちたい!!」という思いにとりつかれてしまったのです。
でもまだ2年生故、ランドセルで間に合わないほどの荷物があるわけでもありませんでした。ランドセルもわりとスカスカで、中の教科書が歩くたびガコガコ鳴っていました。

それでもわたしの「ハンドバッグを持ちたい」という欲求は抑えられずついに爆発し、「あのバッグじゃないと学校へ行きたくない」と言いだしました。
親は当然ダメだと言いましたが、わたしが本当に学校へ行かないということも辞さない姿勢だったため、登校拒否られるくらいだったら、と仕方なく買ってくれました。

それからハンドバッグで学校へ通い、ランドセルは使われなくなっていきました。
小学生を卒業するころ、みんなのランドセルは古くなり、ツヤが失われていくころ、わたしのランドセルは家で新品のようにツヤツヤしていました。
せっかく子供に背負われるためにやってきた赤いランドセル。ぜんぜん仕事させてあげられなくてごめんなさい、という気持ちになります。

ランドセルは私の小さな勉強机

ランドセルは私の小さな勉強机
2. ランドセルの思い出もしくは小学校の思い出を書いてください。
はじめて自分だけのスペースだ!と感じたのは、両親に買ってもらったベージュ色の勉強机でした。自分の椅子、引き出し、ライト、ペン立てなどすべてが自分の思うように配置できとても嬉しかったのを今でも覚えています。

ランドセルはそんな私の持ち運びができる小さな勉強机でした。

赤いつやつやのランドセル。

まだ革のかおりが鼻につく幅広なランドセル。

蓋についている鍵をカチャっと開けると中には教科書が何冊も綺麗に入れられる深めの大きなスペース。

そしてジャバラ式になって小さなノートや筆箱が入るスペース。

蓋の内側にはクリアファイルが張り付けてあるような形で時間割表や好きなアニメの切れ端が入れられて、いつも開けると必ずみる場所でした。

時には学校帰りに外でお絵かきをするときはその蓋が下敷き代わりとなり、テーブルとなり色々と私たちのお手伝いをしてくれました。

ランドセルの外側両サイドには30モノサシやそろばんがさせるようになっていました。

転んだ時には私を衝撃から守ってくれることもありました。

長く使っているとランドセルの表面にいい感じのしわができ、蓋が開けやすくなったり、革の柔らか味がでてきます。

特に肩にかけるバンド部分や背中部分は自分の形になりしっくりくるようになります。

そうなるころには厚みがあったランドセルも薄くなり、これもまた使い込んでる感や、上級生になった感があって私の大切な一部分でした。

そんなランドセルが大好きだった私も上級生になり、仲良しだったお友達が他の子と仲良くしていることが面白くなく、そんな些細なことから支配感が強かった私は弱いものいじめへと走るようになってしまったのです。

そして学校帰りには大好きだったランドセルをその友達に持たせるようになり、その子のランドセルは後ろに背負わせ、私のランドセルは前に抱えるように持たせ家までの道のりを笑いながら歩かせたりしていました。

ある日面白くないことがあり、前に抱えさせていた私のランドセルをこの私がパンチしたり、蹴とばしたりしてその子に衝撃を与えて楽しむようになりました。

苦しがるお友達を見るのが楽しかったのでしょう。

ある日の朝、私のランドセルの蓋が変形して黒ずんでいることに気が付きました。

「なんでこんなに汚いの?」と自分に問いただしてみるとお友達に嫌がらせをしていたから大好きだったランドセルが汚れているのに気が付かなったんだと、なんとも言えない悲しみが私を襲いました。

その日私は今までのことを謝ろうと教室に入ったら、クラスみんなに無視されてる自分がいました。

そうです。罰が下ったのです。

それから約1か月間くらいは独りぼっちでした。

私はよりを戻そうとお友達に謝ろうと話しかけました。

「OOちゃん、私が帰りにOOちゃんのランドセル持ってあげる。今までごめんね」と。

「もういいよ。私のものは持たなくていいよ。自分のは自分で持つよ。だって私のランドセルだもん」と言ったのでした。

嬉しかったですし、申し訳ない気持ちがいっぱいで涙があふれ出ました。

その涙はお友達へはもちろん、私の大切なランドセルを人に持たせ、雑に扱い、汚してしまったことへの涙でもありました。

私はランドセルを綺麗に掃除し、卒業するその日まで大切に使いました。

ランドセルは6年間私にお友達の大切さや、物への愛情、整理整頓のやり方などたくさんのことを教えてくれました。

ありがとう。

おそろいのシール

私のランドセルは赤いランドセルでした。
今の小学生はカラフルな色のランドセルを背負っていて、とても可愛いと思いますが、私の時代は男の子は黒、女の子は赤と決められていました。
他の色のランドセルは売られていませんでした。

私の小学校は車の多い道路を横断して行きます。
少し遠いので、近所の子達と一緒に登校します。
私は小学生の頃、すごく人見知りで、恥ずかしがり屋でした。
近所の子達はとても元気で、いつも私に色々話しかけてくれるのに、私はうまく返事をすることができず、黙って頷くしかできませんでした。

今日の給食はアレだね、とか、体育があるから体操服を着てきたとか、本当に他愛のない話で、今思えば気にするようなこともないと分かりますが、その時は周りの雰囲気にどうしても馴染めなかったのです。

そのうち、みんなは仲良さそうに話しているのに、私だけ一人ぽつんと最後尾をついて歩くようになりました。
少し遅刻をしてしまい、待ち合わせの時間に間に合わないと、待ち合わせ場所には誰もいませんでした。
私は走ってみんなを追いかけました。
追いつくと「おはよう」って言ってもらえるけど、そのあとはまた、皆の後をぽつんと歩くだけでした。
私は、いてもいなくても同じ。
そんな風に考えて、当時はとても悩んでいました。
両親は共働きでいつも怒ってばかりいたし、友だちにはそんな話をしたら嫌がられるかなとか考え、先生に言う気にもなれず、ウジウジ悩んでいました。
いじめとかではなく、無駄に考えすぎて損をするタイプなんです。

しばらくそんな状態が続いたあと、登校時間が同じということもあり、別のグループが途中から加わるようになりました。
2グループ一緒になったので、前よりも、より賑やかになりました。
私はそれでも一番後ろを歩くだろうと思ってました。
でも私よりももっと後ろを歩く子がいたのです。
数日間は何も話しませんでしたが、そのうち隣を歩くようになって、そのうち「おはよう」と声を掛け合うようになりました。
その女の子は、私みたいにウジウジ悩むタイプではなく、自分で望んで一番後ろを歩いていると言っていました。
その方が落ち着くと言っていました。
私は、なるほどなと思いました。その方が、ウジウジ悩むよりもずっとイイコトだと思ったのです。

私はその子と同じシールをランドセルの蓋の内側に貼りました。
おそろいです。
シールはいつのまにか剥がれてしまいました。
でも小学校の間、一番遊んで一番話したお友達の思い出は忘れません。